吉祥寺の地名の由来

吉祥寺の地名の由来

たいていの場合、地名には何らかの意味が込められている。その地が持つ風景、その地とゆかりの深い著名人の名称、いろいろなケースがあるが、その由来をひもといてみるのは、歴史ファンならずとも実におもしろいものだ。

もう長い間”住みたいまち”の上位にランクインしてきた「吉祥寺」の由来を考えた場合、字面から察するに、高名な「寺」が存在すると思うのは妥当なことだろう。しかし、この地のどんな詳細な地図を見渡しても”吉祥寺”なる名を持つ寺は見当たらない。いったい「吉祥寺」という地名の起原はどこから来ているのだろう?

吉祥寺

由来の諸説にはいくつかあるが、最も信憑性があるといわれているのが、東京文京区に現存する「諏訪山 吉祥寺」にまつわる話だ。

本駒込の地でいまなお厚い信仰を集めている吉祥寺が誕生したのは、意外にも江戸城だ。長禄2(1458)年、太田道灌(当時の名は持資)が城を築いた際に井戸を掘ったところ「吉祥増上」と刻まれた金印が見つかり、”吉祥”の部分を取った寺を西の丸に建てたことに始まるという。

吉祥寺の地名の由来

徳川家康の幕府開府により、吉祥寺は現在の水道橋地区あたりの駿河台に転地。しかし明暦3(1657)年に起こった、”振り袖火事”の異名で知られる「明暦の大火」により、吉祥寺は再び転移を余儀なくされることになる。

猛威を振るったこの炎により、寺もさることながら、門前町に住んでいた人々も大きな被害を受けた。寺が類焼したことにより、多くが焼け出されてしまったのだ。居を追われた彼らを見かねた吉祥寺の浪士・佐藤定右衛門と宮崎甚右衛門がいまの武蔵野市あたりに目を付け、土着の百姓・松井十郎左衛門の力を得て一帯を開墾。門前町の住民たちを移住させた。万治2(1659)年のことだ。

「吉祥寺」の名に変わらぬ畏敬を持っていた住民たちは、いまの五日市街道沿い・武蔵野八幡宮あたりに村をつくった際に、その名を地名として取った。以来、この地は「吉祥寺」と呼ばれ、人々の暮らしの舞台となり続けている。

吉祥寺

吉祥寺の地に「吉祥寺」という寺がない理由はこのような伝承があるからとのことだが、地域はもともと寺とは深いゆかりがあり、「安養寺」「光専寺」「蓮乗寺」「月窓寺」などを擁する寺町として知られていた。代表的な4寺がある地域は「四軒寺」と総称され、現在の吉祥寺通りと女子大通りが交わる地の「四軒寺交差点」などのように、いまも名称を残している。

四軒寺交差点

吉祥寺には大学の類いも多いが、奇しくも本駒込の吉祥寺は僧の学寮「梅檀林」を持ち、幕府の学問「昌平坂学問所」と並ぶ”文教の地”であったという。

落ち着きある街並みに、学問の誉れ高い寺の名を持つ吉祥寺。交通の便利さや商業施設の賑やかさのほか、このようなゆかしい要素を持っていることも、住む地として人気を集め続ける理由のひとつかもしれない。

吉祥寺の地名の由来